こんにちは、起業準備をしているMi6 社長のKです。
今、僕たちが感じている起業についてのリアルな手触りを記録したいとの想いから本ブログを開設してます。
「Mi6社長のブログ」開設
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さて、本日のテーマ。
共鳴と禅問答
最近、経営者の方と話をしていて、会話が止まることがある。
会話が続かなくて…
という訳ではなく、間を互いに噛みしめる時間が生まれているのだ。
先日、一緒にランチをしていた経営者の方からこう言われた。
Mさん「脳って凄い器官だと思うんです。人間は脳の3%も機能を使えていないと言われています。4%使えたら天才ということになります。では、10%使えたとしたらどうなると思います?」
僕「超能力が使えるようになるかもしれませんね。」
Mさん「そうかもしれません。ただ、その前に死んでしまうらしいのです。脳は最もエネルギーを必要とする臓器です。エネルギーを使い過ぎると人間は餓死してしまうのだそうです。」
僕はそれを聞いて、その言葉を咀嚼していた。
余りに衝撃的な内容だったからだ。
その間、自然と会話は止まっていた。
数十秒経ってから、私は脳が考えたことを実現する臓器だという話をした。
すると、Mさんも暫く言葉を紡ぐのを止めた。
僕の言葉を咀嚼しているようだった。
そして、「なるほど…」と呟いた。
僕達はたくさんの言葉を交わしたわけではなかった。
ただ、一つ一つの言葉に深みがあった。
そのため、その言葉を理解するのに時間が必要だった。
更に付け加えると、言葉を噛みしめる時間を経て、想像力を掻き立てられた。
そこには、間があった。
この時、僕は「海賊と呼ばれた男」の中で、第一銀行の貸し剥がしを背景とした資金繰りから廃業を決意した国岡鐵造と肩代わり支援を決めた第23銀行頭取が対峙した場面を思い出した。
頭取が一言、「国岡さん、大丈夫ですか。」と聞いた。
鐵造は一言、「大丈夫です。」と答えた。
そのまま二人は無言で、庭を眺めていた。
後に、門司支店の若い支店長は、まるで、禅問答のようだったと語った。
人間の会話とは、突き詰めると言葉は一言で足りるのかもしれない。
想いが凝縮された言葉は、身体の中に入ってきた瞬間に解き放たれ、共鳴する。
側から見ると、禅問答のように見えるのだ。
それでは、Good Luck!