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何かを選択するとき、迷うことはある。
迷うというのはどういう状態だろうか。

左と右に道が分かれていてどっちを進むのかという状態を考えてみよう。
前提として一度選んだ道は後戻りはできないとする。

片方の道には財宝があり、もう片方は崖になっている。

という情報だけだとすると、迷う。
確率は50%。
一方を選ぶと死が待っている。

左の道を眺めてみると、財宝は見えないが、村があるのが見える。
右の道の先には何も見えない。

ここで、左の道を選ぶメリットは村で物資の補充や休息が可能ということだろう。
もしかしたら情報や仲間も手に入るかもしれない。

すると、左の道を選ぶメリットは正解への確率を上げる可能性があるということになる。
但し、一度選んだ道は戻れないので、実は本質的には確率は50%で変わらない。

右の道をよく見ると、宝の地図が落ちている。
その地図が信用できるかは分からないが、信頼できる人からの口伝ての情報だと確率は80%くらいまで上がるかもしれない。


一方で、先をどこまでも見通せる望遠レンズがあれば、結論は迷わないだろう。

'選択'を'迷う'時は情報が足りないという状態だ。
但し、時間は限られており、僕たちは常にその中で決断をしていかないといけない。

その時に立ち返るべきなのは、自分が何を求めているかだ。





そう、僕たちはそもそも「財宝」を求めていたのだろうか?

実は自分が料理人で「崖の下にあるツバメの巣」を求めていたという前提だと話は変わってくる。


だからこそ、事業においてvisionが大事なのだろう。

コンパスが指し示す先は変わらない。






それでは、Good Luck!






P.S.
とある経営者に示唆して頂いた「風林火山」が胸に刺さる。

【ウィキペディアより引用】
風林火山(ふうりんかざん)は、甲斐の戦国大名・武田信玄の旗指物(軍旗)に記されたとされている「疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山」(疾(と)きこと風の如く、徐(しず)かなること林の如し、侵掠(しんりゃく:おかしかすめる)すること火の如く、動かざること山の如し)の通称である。

・・・

「疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山」の句は、『孫子』・軍争篇第七で、軍隊の進退について書いた部分にある文章を、部分的に引用したものである。すなわち、
「故其疾如風、其徐如林、侵掠如火、難知如陰、不動如山、動如雷霆。」
(故に其の疾きこと風の如く、其の徐(しず)かなること林の如く、侵掠(しんりゃく)すること火の如く、知りがたきこと陰の如く、動かざること山の如く、動くこと雷霆(らいてい)の如し)
からの引用である。
 
これは「(~そこで、戦争というものは敵をだますことであり、有利になるように動き、分散・集合して変化していくものである。)だから、(軍隊が)移動するときは風のように速く、陣容は林のように静かに敵方の近くでも見破られにくく、攻撃するのは火のように勢いに乗じて、どのような動きに出るか判らない雰囲気は陰のように、敵方の奇策、陽動戦術に惑わされず陣形を崩さないのは山のように、攻撃の発端は敵の無策、想定外を突いて雷のように敵方を混乱させながら実行されるべきであると言う意味である。 難知如陰は其徐如林と、動如雷霆は侵掠如火と、意味的に重複する部分が多いので旗印からは割愛されている。